幻想水滸伝Ⅳパロ―Ⅶ
朝は、自由を失ったクリュセの島にも訪れます。
ギャラルホルンによるクリュセの占領戦は、三日月達が去った後の数時間ほど、夜明けがくる前に終わっていました。
残る人々に対して、クーデリアが素早く回って抵抗しないよう諭していたおかげ、
そして島に上陸してきた部隊が、無抵抗の島民は決して攻撃するなと命じられたマクギリスの部下だったおかげです。
早朝、半分ほど焼けてしまった島の桟橋に、涼しい夏の朝霧がたちこめる中、マクギリスはクリュセの土を踏みました。
「……この島の主は、まだ若いとはいえ統率力があるようだ」
港からの一本道の坂道を歩きながら、多くの民家が焼け残っている姿を確認し、想定より被害が少ない島の様子にマクギリスは少し感心しました。
「抵抗されていたならこうはならなかっただろう。
以前の報告にあったように、彼女は民からよく信頼されているのだな」
マクギリスは、占領したクリュセの統治のためにやってきたのです。
その足は当然のように、王が住まう島の頂上まで向かいました。
水の回廊のような宮殿前の広間が朝陽を反射して煌めく間を通り、王宮へマクギリスが一歩踏み入れると、クーデリアが膝をついた姿でギャラルホルンの兵士に拘束されています。
マクギリスが目を細めてその姿を見たその時、クーデリアもまた、きゅっと唇を噛みしめて、真っすぐマクギリスの目を覗き込みました。
お互いに、人を導く立場なのだと認めたのでしょうか。
マクギリスが右手をすっと上げ「彼女の拘束を外せ」と言うと、数秒躊躇った兵士が「は……」と慌ててクーデリアを自由にし、その後の命令にも従い、その場を立ち去りました。
何故かと目で問うクーデリアに、マクギリスは何も答えません。
彼女の護衛を務めていたシノとユージンも解放され、残ったクリュセの住民の元へ行くことが許されたため、クーデリアを含め3人は急いで坂道を下っていきました。
占領されて初めての1日はあっという間に終わっていきます。
普段と全く同じ鮮やかな夕陽が海をオレンジ色に染めていました。
マクギリスは、駐留するギャラルホルンの権利を今後取り付けていく一方、一定の要求を呑む代わりに最低限の自由は残そうと提示してきました。
細かい調整は明日以降ですし、調整とは言ってもギャラルホルンの言いなりになるしかないことは分かっていますが、これまでギャラルホルンが蹂躙し、文化や命を消していった国や地域の末路を考えると、不気味なほど静かだとクーデリアは疑問に思っています。
(海神の申し子……マクギリス・ファリド……彼が占領地に逗留するなんてことがそうあるかしら……。
残った皆が殺される危険が少し小さくなったのは良いこと、とはいえ、さすがに何か意図はあるはず)
もしマクギリスがこの地ではなく紋章のみを目的としていたとしても、クリュセを蹂躙しない理由にはなりません。
全てを奪い取った後、三日月達を追えばいいだけなのですから。
となると、クーデリアやクリュセは人質、でしょうか。
そういえば、マクギリスに従う兵士達以外の部隊はとても不満そうでした。
「……ギャラルホルンの中でも命令が違うのか、権限の違いか……これ以上は情報が足りない。
初日を無難に乗り越えただけでも喜ぶべきね。
罰の紋章を奪うにはこの島の長の命が必要だ、と偽ってどうにか時間を稼ぐつもりでしたが……」
クーデリアはそこまで考えたところで、胸の前で手を組んで目を閉じ、夕陽の先に祈ります。
「……三日月、必ずまた……」
星が輝き始めた頃、クーデリアは今朝まで自分が過ごしていた宮殿へ1人で戻ってきました。
夜空を綺麗に映す水路の真ん中で、水面を通して星空を眺めるマクギリスの姿があります。
伏し目で星の光を見つめるその顔は絵画のように美しいのに……とクーデリアは思いました。
これからクリュセをどうしたいのかとクーデリアが問おうとしたその時、彼女の言葉より早く
「君が」
とマクギリスが言いました。
「逃がしたあの船の中に、罰の紋章を宿した使者がいたのだろう」
「……貴方も、いえ、ギャラルホルンもあの紋章を欲したばかりに、このような一方的な蹂躙を行ったのですか」
「さて……紋章に関わらず遅かれ早かれ結果は同じだった、と言えば怒るかな」
「もちろんです」
言葉を紡ぎながらもまだ星を眺めていたマクギリスは、臆せず答えるクーデリアの声に惹かれ、彼女の顔をその時初めて見ました。
宮殿の灯りも松明もない夜の中ですが、月の明るさと、一面に広がる水に反射した星の光によって、5メートルほど離れていてもお互いの顔ははっきりと見ることができました。
「……クリュセの王……いや、まだ姫だったか」
「はい。父……王は、クリュセのため、群島のため、この難を逃れて遠い地にいます」
いっそギャラルホルンに服従を……と唱える王を、三日月達を逃がす船に真っ先に押し込めた……とは言えません。
「だが私は、クリュセの主は私の目の前にいると思っている。
その責を担う者としての貴女に問おう。罰の紋章とその宿主を引き渡せば群島を見逃してもいい……と言えば、どうする?」
「……貴方は何か勘違いしているようです」
ふう、と息を吐いてクーデリアは静かに答えます。
「クリュセを弾圧する気がない……貴方の采配からそう感じていますが、その理由を今日ずっと考えていました。やはり、人質なのですね」
「そう捉えても構わないが、私の勘違いとは」
「簡単なこと。
あの罰の紋章を人間が御せるはずがないではありませんか。あの紋章と、紋章が認めた主が望む行く末は誰にも見通せませんよ。
紋章と主、そのどちらも、私であろうと貴方であろうと駆け引きの道具になどできません。そして」
そこで一呼吸置き、一言だけ続けました。
「誰かを従わせるためのものでもないのです。決して」
マクギリスは黙って彼女の眼を見つめていました。
小高い丘に建っているクリュセの宮殿からは、群島の広い海が見えます。
その海を背にし、ギャラルホルンの軍隊を率いる男を前に臆さず凛と立つ彼女の姿に、マクギリスの心の中には「誇り」という言葉が自然と浮かんできました。
(あいつが好きそうな言葉だな……重みが、まるで違うが)
ふ……と、恐らくマクギリス本人にしか分からないように静かに小さく、彼は笑いました。
「……では、その行く末とやらを見せてもらうことにしようか」
そう呟いたマクギリスは、クーデリアに街へ戻るように促します。
まだ彼に何か問いたいような面持ちのクーデリアでしたが、
「では私も……そういたします。貴方の行く道を、この目で」
と言い残して、来た道を下りて往きました。
また1人で王宮の前に佇むマクギリスがその目に映すのは、高く高く夜空に輝く星。
「……侵略を是とするギャラルホルンと彼女は、まるで対極の星だな。
水に映った姿などでは到底表せぬ、誇り高き……」
道を下りていく彼女の姿を美しく思うマクギリスは、軍国の将としてギャラルホルンの先陣を切り、戦う覚悟のある騎士です。
それでも、強者の傲慢さに満ちる古びた体制や風土を憎む、そんな青年でした。
この日、この海に生きる星達の運命が重なり動き始めたことを、このクーデリアとマクギリスの2人だけは感じ取っていたかもしれません。